「今日どうだった?」「ふつう」の、その先
執筆:オペラシンフォニー
「今日どうだった?」「ふつう」。この短い会話、うちもです。素っ気ないけど、本当はいろいろ抱えてる日もあるんですよね。子どもとの、ちょうどいい距離の話です。
試合や練習の帰り、車の中で、つい聞いちゃいますよね。「今日、どうだった?」
返ってくるのは、たいてい「ふつう」。よくて「勝ったよ」「一点取った」。それくらい。
……うちも、そうです。もっといろいろ話してよ、と思いつつ、まあこんなもんか、と。
でも、その「ふつう」の裏に、実は、いろいろあったりするんですよね。
決定的な場面でシュートを外していた、とか。どこかが痛かった、とか。友だちと比べて、ちょっと落ち込んだ、とか。言わないだけで、抱えてる。
私が書いている『背番号と請求書』にも、こんな場面を書きました。お母さんが車で「今日どうだった?」と聞く。子どもは「普通に勝った」と返す。でも本当は、膝が痛くて、大事な場面でシュートも外していて、それを、言えずにいる。
書きながら、思ったんです。子どもって、私たちが思うより、ずっといろんなものを、ひとりで抱えてるのかもな、って。
同じ物語に、こんな場面も書きました。大事な選抜のメンバー発表で、自分の名前を見つけて、「ほっとする」子。当たり前に選ばれると思っていたのに、心のどこかで、選ばれない未来を、怖がっている。そういう不安も、たいてい、口には出さないんですよね。
じゃあ、根掘り葉掘り聞けばいいのか、っていうと、それも違う気がして。
聞きすぎると、面倒がられる。かといって、聞かないと、それはそれで、ちょっと寂しい。あの、ちょうどいい距離を、親のほうも、いつも探ってる感じがします。
だから、最近思うのは。無理に、答えを引き出さなくていいのかな、と。
「ふつう」でいいんです。それ以上、しゃべりたくない日もある。ただ、「聞きたいときは、いつでも聞くよ」っていう空気だけ、そばに置いておく。それくらいで、いいのかもしれません。
素っ気ない「ふつう」の裏に、いろいろあるんだろうな——そう分かって聞いてるだけで、たぶん、少し違う気がするんです。
今日も、車の中で「ふつう」って返されるんでしょうけどね。それでも、また聞いちゃうんだと思います。
1年を振り返ると、「ふつう」の日の積み重ねが見えてきます。我が家のサッカー、1年のまとめは、1年分の数字を並べて眺められるツールです。長い目で見る話は、子どものサッカーは、長期投資に似ているにもあります。